ハケンの旅、九州、北海道…「また飛ばされんでしょ」
http://www.asahi.com/special/08016/SEB200812180017.html
2008年12月20日11時43分
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北海道の冬は日が短い。今月上旬の午後4時半、道南の苫小牧市でも外は真っ暗だ。気温は零下1度。日陰に雪が残る。
「こっちの寒さにも慣れてきたのに……」。市街地のアパートの一室で、トヨタ自動車北海道(同市)の派遣社員だった山本和行さん(30)=仮名=は荷造りの手を止め、「激動の1年」を振り返った。引っ越し荷物の送り先は福岡市近郊の実家だ。
始まりは4月だった。
人材派遣会社からトヨタ自動車九州(福岡県宮若市)の工場に派遣されて1年余り。職場の責任者から「減産するので、一部の派遣社員は6月で辞めてもらう」と契約解除を予告された。
大型連休明けの5月上旬、派遣会社から自分もその1人なのだと知らされた。契約期間は6カ月。3度目の更新は1カ月後だった。派遣会社の担当者は「景気がよくなれば戻れますから」。仕方ないか、と納得した。
次の派遣先として大分県、愛知県、北海道の自動車工場を紹介された。そのうちトヨタ九州に戻れるだろうと思い、旅行気分も手伝って、1381キロ離れた北海道の工場に決めた。他に20~30代の4人も同じ道を選んだ。
週末の6月6日まで九州で働き、8日に引っ越し。半袖シャツで新千歳空港に降り立つと肌寒かった。週明けの9日から勤務の強行軍だった。
トヨタ北海道でも6カ月の契約。米国発の金融危機が深刻になった10月末、残業がなくなった。派遣会社の支店幹部から「職場の評価がいいから契約更新は大丈夫」と言われても、半信半疑で聞いた。
11月になって、インターネットでニュースを見た。《トヨタ7割減益予想》。その数日後の夜、仕事からアパートに戻ると、派遣会社の担当者が訪ねてきた。「トヨタ側が契約は更新できないと言ってきました……」
とても納得できない。それでも、やつれた顔で「申し訳ありません」と繰り返す同世代の担当者を、責める気にはなれなかった。担当者は、その場で「ここしかない」と次の派遣先を紹介してきた。今度は、苫小牧から約800キロ南下した神奈川県の自動車部品工場。トヨタの下請けらしい。すぐに断った。
「また半年とか契約途中で切られて飛ばされんでしょ」
1カ月後、丸2年籍を置いた派遣会社を退職した。その担当者は言った。「景気がよくなれば最優先で契約しますから」。半年前にも聞いたせりふだった。
■2度の「派遣切り」経験、割れた「次」の選択
トヨタ自動車九州(福岡県宮若市)から1381キロ離れたトヨタ自動車北海道(北海道苫小牧市)へ6月に移った派遣社員の男性5人は、そろって12月8日で雇い止めになった。みな福岡県出身。同じく2度の「派遣切り」を経験した仲間でも、次の選択は割れた。
山本さんら3人は実家へ。残る2人は派遣会社に紹介された神奈川県の自動車部品工場へ。
山本さんは11日、福岡市近郊の実家に戻った。仕事は未定。公務員だった父(60)の勧め通り、就職に有利な資格を取ろうかと思っている。
2年間の「派遣生活」。派遣社員が軽く扱われるのは「派遣社員の側にも原因がある」と思うようになった。見学気分で入って数日で来なくなる人、何を言われても「できません」と言い張る人。「10人入ったら5人も残らない」というのが現場の実感だという。一方、正社員への登用を夢見て仕事に励む派遣社員もいて、「ハケン」の一言ではくくれないと感じた。
はじめから派遣社員だったわけではない。専門学校を出て、21歳で福岡県内の情報処理会社に正社員として就職した。職場のごたごたで06年夏、28歳で退職。再就職を焦っていたとき、新聞で「自動車関連産業人材育成講座」の記事を見つけた。
講座は05年度から経済産業省の委託事業、07年度から福岡県の事業として、「県若年者しごとサポートセンター」が主催した。運営は人材派遣会社に任され、会場は別の派遣2社の研修所だった。
山本さんが受講した06年度は1週間の合宿研修。実習や工場見学をし、求人情報を提供された。自動車メーカーの正社員の中途求人は見あたらず、「派遣社員から準社員、正社員と登用されるのが近道だ」と教えられた。迷わず派遣会社を訪ね、06年12月、トヨタ九州に派遣された。
06年度は受講者459人のうち399人が就職。内訳は正社員268人(67%)、非正社員131人(33%)。非正社員のうち56人が派遣社員だった。労働規制の緩和に乗り、旧通産省出身の麻生渡知事を先頭に「自動車立県」の旗を振る県が、若者を不安定な派遣労働へといざなった。
山本さんが雇い止めにあったトヨタ北海道は4~12月の間、全従業員数は34人増やしたのに、派遣社員は142人から57人に減少。「厚生労働省の意向に沿って『直接雇用』への切り替えを進めている」(総務課)と説明する。
派遣労働が「不安定雇用」の象徴となった数年前から、厚労省は経済界に正社員への登用を促し続けた。そこに「09年問題」が迫ってきた。
来年、製造業で働く大量の派遣社員が3年の雇用期限を迎える。それを控え、各メーカーが派遣社員の削減に動き始めたさなかに、急激な経済失速――。この秋以降、各地で起きた同時多発的な「派遣切り」の構図だ。
行政に背中を押されて派遣労働に足を踏み入れた山本さんは、企業の論理や雇用政策のぶれに辛酸をなめさせられ続けた。それでも、思う。「ハケンでもいいから、もう一度、トヨタに戻って正社員を目指したい」。旅は、いつまで続くのだろう。(吉田耕一)