日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く
長文。
なんか、いいこと読んだ気がしたので、メモ。
日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編)
http://www.asyura2.com/09/it11/msg/229.html
IT 229 2009/6/04 16:19:23
投稿者: 尾張マン
6月4日11時52分配信 ITmediaニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090604-00000026-zdn_n-sci
2006年2月、梅田望夫さんが著した「ウェブ進化論」(ちくま新書)は、インターネットの可能性やGoogleの力をポジティブに語り、国内の「Web 2.0」ブームに火を付けた。
その後も「フューチャリスト宣言」(新潮新書)、「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)などWeb関連の本を立て続けに出版。テレビやネット媒体、新聞などの取材にも精力的に答えていた。
だがここ最近は、Webについて語ることは少なく、昨年11月にはTwitterに書き込んだコメントが炎上するという“事件”も起きた。
一方、今年5月には、最新刊「シリコンバレーから将棋を観る」(中央公論新社)を出版。その名の通り、将棋観戦の魅力を語った本で、帯にはこうある。
「わたしが本当に書きたかったのはこの本でした」
同書で彼は、“指さない将棋ファン”として将棋を語り、羽生善治さんなど第一線の棋士の努力と天才性を「シリコンバレーの技術者と通じる」と賞賛。リアルタイム観戦記を自ら執筆し、Webを将棋という日本文化を広げる媒体として位置付ける。
3年前、Googleを賞賛し、Webの可能性を力強くに語った梅田さんが今、Webについて語ることを休み、一流の棋士たちに魅了されている。
梅田さんは日本のWebに絶望し、将棋に“乗り換え”てしまったのだろうか――記者は新刊からそんな印象を受け、梅田さんに疑問をぶつけた。
●「ずいぶん違う物になっちゃった」
――最近梅田さんは、日本のネットについてあまり語っていらっしゃいません。新刊を読んでいると、「日本のインターネットはGoogleのようにはなれないから、今度は日本の将棋に期待する」と思われているような印象を受けました。
1つ誤解があるのは、僕は去年、「私塾のすすめ」(ちくま新書)という本を出したとき、「サバティカル(長期研究休暇)に入る」と宣言しました。
ウェブ進化論から7冊の本を出し、累計80万部出た。その間、取材も受けるしブログも書いた。2年半ぐらいたくさん書いた。取材もたくさん受けた。対談も山のようにした。誰と会っても何を書いてもどっかでしゃべったことと同じになっちゃうという危機感があって。
その時点で考えたこととかは相当書いた。何を書いてもどこかで書いたことのリフレインになってしまうというぐらい、完全燃焼と言うぐらいに激しく仕事したので、しばらくものを書かないと。
僕はかなり長期的なトレンドや議論に興味があるんです。「この会社が出てきて面白いですよ」という個別の話は、僕以外の人が書けばいいと思ってます。今もサバティカルで、お休み中。この本(シリコンバレーから将棋を観る)が出たので「サバティカルに入っていない」と勘違いする人もいるんだけどこの本が出たのが間違いなんです。
今のネット空間について、意図することがあるから語ってないわけではありません。
とはいうものの残念に思っていることはあって。英語圏のネット空間と日本語圏のネット空間がずいぶん違う物になっちゃったなと。
僕自身あんまり評論家ではないからね。評論家と思う人もいるかもしれないけど、僕自身ははてなの経営にも関わっているし、基本的には行動する中で思考していく人間なので。
客観的にものを見ているようで、自分の好みとか、こうなってほしいなぁという願望とか期待を込めたものの書き方をする人間でありますから。
仮に今のWeb空間がネガティブなものになったとしても、それを分析しようというモティベーションがそもそもないんですよ。
●日本のWebは「バカと暇人のもの」?
――日本と米国のWeb空間は何が異なり、梅田さんの言う「ネガティブ」とは、何を指しているんでしょう。
そうですね……。「ウェブはバカと暇人のもの」(光文社新書、中川淳一郎著)という本が出たでしょ。まだ全部は読んでいないんだけど、前書きを読んだら僕のことばかり書いてあってね。
「梅田さんのウェブ進化論を否定するわけじゃないけど、彼が書いているのは頭の良い人の世界。わたしがこれから書くのは普通の人とばかな人の世界」という書き方があったの。その上で、日本語圏のインターネット空間で、著者の方が経験した物語みたいなのが書いてあって。
ウェブ進化論が出て以来、アンチの本とかずいぶんたくさん出ていて。全部は読んでいないんだけれど、彼の書き方はフェアだなという感じはちょっとしたんですね。そう言われればそういう切り分け方はあるんだろうなと思った。
そういう意味で、ぼくが将棋に魅せられるというのも、ものすごく優れた人たちが徹底的に切磋琢磨するプロフェッショナルな世界に惹かれるから。そういうところでやってる人がものすごく努力して至高の世界に行く。そういう中で最高峰の世界をみせてくれるじゃない。そういうのに惹かれるから。
英語圏ネット空間は地に着いてそういうところがありますからね。英語圏の空間というのは、学術論文が全部あるというところも含めて、知に関する最高峰の人たちが知をオープン化しているという現実もあるし。途上国援助みたいな文脈で教育コンテンツの充実みたいなのも圧倒的だし。頑張ってプロになって生計を立てるための、学習の高速道路みたいなのもあれば、登竜門を用意する会社もあったり。そういうことが次々起きているわけです。
SNSの使われ方も全然違うし。もっと人生にとって必要なインフラみたいなものになってるわけ。
●日本のWebは、自分を高めるためのインフラになっていない
――日本のSNSは、人生に必要なインフラになっていない、という意味でしょうか。
なってないんじゃないんですか? 職を探すとか……。人生のインフラ、学習、生計を立てる、キャリアを構築する、みたいな。
――上に上がるためのインフラにはなっていない、と。
上に上がるため、自分を高めていくため、という流れがあるかというと、部分的にはあるかもしれないけれど、比較論で言えば英語圏と日本語圏とずいぶん違うと思いますけどね。
――英語圏のそういったあり方が方が好き、という、好き嫌いの問題だということでしょうか。どっちが優劣、といった意識はあるんでしょうか。
好きだというのはあるよ。人間だからね。ただ、客観的に見て違うよね。ここはどうだろう。そこについて「事実認識が間違っている」という論は立たないんじゃないかな。
――その「違い」に対して、日本のネット空間にはある種、がっかりしたと。
アメリカにだってダメなところはいっぱいあるけれど。
ネットはすごくニュートラルなものでしょ。道具だから。上から下まで正規分布みたいになるよね、普通。ニュートラルなものって。
ニュートラルなものって相対化されるじゃない。いいことから悪いことまで全部出てきて、悪いところは相対化されるじゃない。いいとこもあれば悪いところもあるよね。
日本のネット空間もそうなんだけど。その比率がずいぶん違う感じがするなあ。
●日本のネット空間の「悪いところ」
――日本のネット空間の「悪いところ」って例えばどういうところでしょう。
(15秒間沈黙)
――はてブコメントの問題(Twitterで、「はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる」などと書き、炎上した件)とか?
ああ、あれ? うーん、そうですねぇ……。
こういう話はしにくいんですよ。何でしにくいかというとね、僕はいま、個人としてインタビューを受けているけれど、はてブコメントについて言うとね、「僕は日本語圏ネット空間について発言することを許されていないんだな」と思った。
僕はあのとき「はてなの取締役であることを離れて言う」と言ったんだよね。それで自分のブクマコメントの非常に限定されたことについて、Twitterでひとことつぶやいたというか、そういうことをしたわけだよね。はてブコメント事件、というのは。事件でも何でもない話で。
だけどやっぱり、日本語圏のネット空間において、ユーザーが100万人とかいるはてなの取締役であると。そうすると、日本語圏のネット空間について、何かネガティブなことを語るということは、「おまえは自分の利用者を批判するのか」というコメントがあったわけ。
それについてコメントすることも、僕はやめようと思ったんだよね。新聞なんかにも取材を受けたけど。「僕がはてなの取締役を辞めたらその質問に答えます」と。
僕自身がはてなの取締役でいる限り、「(ネットユーザーに対して)お前たち、こうしろよ」とか「こういうこと言ってるやつはよくない」と言うことは許されないんだなと思ったんです。
識者の人からすれば「はてなの制度設計がよくないからそういう発言があるんだ」と。そんなこと言う前に直せというふうに言うよね。
だから、分かりました、と。僕も近藤(社長)たちと一緒に努力してますよ。一般的に僕の考えというのは言えないんだなということを、すごく思ったんですよ。
●はてなが大好きだから
――言えないんでしょうか。どう批判されても、言えばいいのでは。
それは僕の構え方の問題だね。やっぱり僕は、はてなが大好きだし、近藤には相変わらず期待しているし、みんなの批判を受けたように、「おまえたちが制度設計し、日本語圏のネット空間が良くなるようにすればいいんだろう」と言われればその通りだし。そういうことを思ったよ。
今、近藤もブログ書いてないじゃない。彼だってアメリカから帰ってきてブログ書かなくなっちゃったじゃない。近藤に聞かないと真意は分からないけど。
はてなって特異なポジションにあるじゃない。最初のうちは無邪気にみんなやっていた。僕も含めて、ウェブ進化論にはてなのことを書いたし。そういうことをやってきた。
そのサービスというのは非常にニュートラルなものだから。確かに制度設計といわれても、できる限りオープンにしたいというのがあるからね。
強権的に何かを削除するとしても、ほかのブログなら何も考えずに消すけれども、うちはむしろ、もうちょっと違うところを目指したりするじゃない。そこが原点になって何か問題が起きたときに、直接的に利用者に対して「君たちがこういう使い方をしているのは良くない」と主観でものを言うのは、はてなの取締役を辞めるまでしないということを、あの事件の時に思ったんですよ。
そしたらさ、新聞記者が、「辞めてくださいよ。辞めて、その発言を日本のためにしてください」と言ったんだよ。僕は「ふざけるな」と。「どうしてそんな失礼なことを君は言うの?」と僕は言ったわけですけどね。
●良いインターネットとは
――はてなに日本のネット空間を良くしてほしい、とおっしゃいましたが、「良い」インターネットとはどういうものでしょう。
それもなかなか言いにくいところではあるが……。
ウェブ進化論で書いたような世界というのは、あれは理想郷であるとか空想であるとか言う人もいるよね。日本語圏のネット空間はぜんぜんああなっていない、と。「ウェブはバカと暇人のもの」によると、(ウェブ進化論は)「頭のいい人の世界だ」という。
ウェブ進化論の中では「総表現社会」という言葉を使っている。高校の50人クラスに2人や3人、ものすごく優れた人がいるよね。そういう人がWebを通じて表に出てくれば、知がいろんなところで共有できるよね、というところまでは書いている。
そういう、「総表現社会参加者層」みたいなのが、人口比で言えば500万人とか出てくると。少なくとも英語圏ではそういう層が分厚くて、そこがある種のリーダーシップを取っているわけだよね。
今の日本のネット空間では、そういう人が出てくるインセンティブがあまりないわけさ、多くの場合。「アルファブロガー」的なものも、最初のうちにぽーんと飛び出した人からそんなに変わってないじゃないですか。それが100倍、1000倍になり、すごく厚みをもって、という進展の仕方と違う訳じゃない。
●日本のネットは、能力を生かし切れていない
良いインターネットと悪いインターネットというというと善悪の基準が1つあるみたいで良くないけれど。それは僕の好みだと言ってもらってもかまわないけど。
英訳のプロジェクト(梅田さんが、「シリコンバレーから将棋を観る」を翻訳してWeb上にアップすることを自由と宣言したところ、有志が短期間で英訳して公開。仏語版プロジェクトも進行している)も、僕が好きだからやってるんだよね。
やる気のある若い人たちが、日本文化の将棋を世界に広げたい。この本(シリコンバレーから将棋を観る)を読んで、こういう日本のすばらしいことを英訳したい、仏訳したいとか、そういうような人たちのエネルギーを集める能力を、ネットというものは持っているんだよね。
僕はウェブ進化論でそういう可能性について描いた。それを高校生で読んだという人が大学の初年ぐらいになってて、かなり多くの人がそういうことにわくわくした経験があって、日本語圏ではなかなか起きてないねと思っているわけですよ。
英訳プロジェクトのリーダーシップ取った子が書いた文章を読むと「日本のWebをポジティブにしたい」と。そういう“良い”じゃなくてもいいけどさ、こういうことが起こるという可能性を自分はネットに期待してたというからそれをやってくれて。そういうのは僕は好きです。個人的に。
そういうような世界が僕は好きで、人間だから、有限の時間で英語圏で何を見ているんだ、英語圏の悪いところをどこまで知っているんだと言われるけど、少なくとも自分が見たい世界はものすごくたくさんあるよ、英語圏には。大学の教材が全部出てくるとか。
――ニコニコ動画では、ユーザーが作った音楽に、別のユーザーが動画を付けるなど、ユーザー同士の協力によって新しいものができています。
サブカルチャー強いよね、日本は。それも全然否定してないよ、日本のサブカルチャー。日本発グローバルでさ。ただ僕自身がサブカルチャーはそんなに……。僕は漫画読まないしアニメみないしさあ。志向性がちがうだけで。
日本のサブカルチャー領域でのWeb文化の隆盛は十分に分かっていて、敬意を表しています。だから、今さらそういう事例について議論しても、日本のWeb文化が特に変化したとは思えないんだよね。
ただ、素晴らしい能力の増幅器たるネットが、サブカルチャー領域以外ではほとんど使わない、“上の人”が隠れて表に出てこない、という日本の現実に対して残念だという思いはあります。そういうところは英語圏との違いがものすごく大きく、僕の目にはそこがクローズアップされて見えてしまうんです。
Web、はてな、将棋への思い 梅田望夫さんに聞く(後編)
http://www.asyura2.com/09/it11/msg/230.html
IT 230 2009/6/04 16:22:19
投稿者: 尾張マン
6月2日19時53分配信 ITmediaニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090602-00000079-zdn_n-sci
Webも将棋も、最先端・最高峰を見せてくれる点が好きなのだと梅田さんは話す。はてなの米国行きは「難しいと分かっていた」が、近藤社長への期待は揺るがない。
――インターネットの可能性は上から下まで開かれているところにあると思います。梅田さんの著書を読んでいると、例えば、最新刊「シリコンバレーから将棋を観る」の前書きにも、将棋を愛する人物の例として、医者や会社社長など肩書きのある“ハイソ”な人ばかり出てきて、「頭のいい人はすばらしい、頭のいい人は分かっているよね」とおっしゃっている印象を持ちます。
そういう言われ方をすれば、もうみんなそう思っていると思うけど、僕はそういう人間だよ。ハイブロウなものが好きですよ。それはしょうがないじゃない。
それは否定しないよ。僕はそういう人間だからね。でもね、本当はできる人が「できない」と言う文化は嫌いですね。本当はできる人が「自分はダメである」といってみんなと仲良くせざるを得ない日本の社会というのは嫌いですよ。
高校生でも中学生でも、勉強ができる子が「できる」と言わない。頭のいい子は隠れる。「ウェブ時代 5つの定理」(文藝春秋)の時も、「これは“上の子”に向けて書いた本だ」と、はっきり言ったんだけど。
●インターネットで「もっとすごい所」へ
これは僕の思想でもあるんだけど、「インターネットとは何ぞや」というところにあんまり興味がないと言ってもいいのかもしれない。僕自身の根源的な興味というのは。
インターネットは、自分が若いころにあったらよかったなぁという感じですよ。これを使ってどこまでも行けたよなぁと。そういう意味で「学習の高速道路」と羽生(善治)さんが言えば、羽生さんとそういう話をしていたい、というところは当然ありますよ。(※)「ウェブ進化論」には羽生さんの言葉として、「ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気にしかれたということ」と書かれている。
そういうたいへんな能力を持っているインターネット空間、そういう興味だよね。インターネットに対する興味は。
もともと僕がやってきたことは、すごくハードルが高いよね。例えばアントレプレナーシップ(起業家精神)もシリコンバレーも、ハードルが高いじゃない。ずっといろんなことをやった上で到達できるところじゃない。
専門ってそうだよね。(僕がやっている)経営コンサルティングだって。「ハイソ」と言われたけど、たまたま僕の職業でそういう人と付き合いが多くて、そういう仕事をずっと選んできているわけだし。
そういう人たちがもっと、さらに向こうへ行ってアメリカと戦うとか、もっと何もないところで市場を創造するとか、そういうとこの手伝いをしているわけじゃない。仕事として。
そいういうところに何が一番大事かというと、これだけすばらしい道具がどんどん進化しているんだから、インターネットやコンテンツを含めて、それを使ってとにかく、もっとすごいところに行こうよ、という、そういうところなんだよね。自分の仕事って。
●「好き」と言える社会であってほしい
ベンチャーキャピタルにだって、そこそこのビジネスからすごいビジネスまでが来て、その中で一番すごいのを選ぶという仕事でしょ。
日本とシリコンバレーを融合させて何とかしようとか、「シリコンバレー1万人移住計画」(シリコンバレーに日本の技術志向の若者1万人を移住させ、活躍を応援しようという梅田さんのプロジェクト)とか、僕の思想は全部、そういうところにあるからさ。そういうのが気に入らないならどうぞ、というか僕自身がそういうことをやっている人間なんだから。
逆に言えば、京大の山中先生(京都大学再生医科学研究所の山中伸弥教授)のような人が学問をやり尽くしてノーベル賞を取ろうとしているとか、日本画家の千住(博)さんが歴史に残る仕事をしているとか、羽生さんがこういうことをしているとか、そういうのが好きですよ。そういうのが好きだということが言える社会であってほしいと思うよね。
ひょっとすると、たまたまテーマに選んだネットやWebというものについて、「ウェブ進化論」みたいなもので僕が世の中に出たということは、僕自身の志向性と若干齟齬(そご)をきたしている可能性があるのね。客観的に僕を見たときに。
ウェブ進化論が予想外に売れてしまったためにマスと対峙(たいじ)せざるを得なくなり、僕自身の最先端・最高峰を愛するという本質的な志向性から、しばらく離れてしまっていたんだな、と最近つくづく思います。それは、「シリコンバレーから将棋を観る」を書いてみて、改めて痛感したこと。やはり僕は、こういう超一流の世界が好きだから。
●はてなアメリカ行き 「難しいと知っていた」
ただ近藤君(はてなの近藤淳也社長)は大好きだから。はてなという会社はまだうまく行ってないわけだけど、彼らが一生懸命やっていることは僕自身もずっと応援していきたいし、一緒に苦労したいと思ってるよね。
――近藤さんがアメリカに行ったこと(近藤社長は2006年米国に支社を設立して渡米。08年に日本に戻った)に対する評価をお聞きしたいのですが。(※)梅田さんは05年3月からはてなの取締役を務めている。
近藤というのはね、何でも自分で腹に落ちるまで自分で挑戦するんですよ。その辺が僕と彼との関係で難しいところです。
僕は知り尽くしているんです。アメリカに行っても難しいことを。社長が日本を離れた時に残った日本がどうなるかとか、1人でアメリカに来て英語圏で留学もしていない人間がサービスを開発して自分より優秀な人間を雇えるかというと、雇えるわけないよね。そんなことは彼が来る前から分かってるんだけど。
僕は彼とそんな話もしますよ。でも彼は「本当かな」と言うんだよ。すべてを疑うということだよね、彼のアプローチって。
僕が「シリコンバレーに来い」と言ったから、来たんじゃないかと思われている人が多いみたいなんだけど、彼が来たがったんだよね。彼が自分の目で、自分がどう通用するのか、シリコンバレーというのはどうなんだ、強いところ、弱いところはどうで、自分は何ができるんだと。
でもそれは僕の専門。だから、「わたしは空っぽで、梅田さんの言うところを全部理解します」という取締役と社長の関係なら、僕が彼に2時間説明して、「分かった、じゃあ行かない」ということになってもぜんぜん不思議じゃないんだけど、彼はそういう人間じゃないんだよ。だから僕は好きなんだよね。自分にないものを持っているから可能性に期待している。
僕は彼のやってることをずっと見てきましたけど、「こうやって時間かけてやっていくんだな、それをずっとやってると、一生って有限だからさぁ」とも思う。彼の良さと、「これは世の中でこういうことになっている、公式なんだよ」ということを受け入れる度合い、スピードみたいなものを、彼がどう学んでいくか。
学んだからいいっていうんじゃないんだよ。そうでないことが、彼を彼たらしめているわけだしさ。
だけど納得したから、近藤はもう、シリコンバレーに行きたいと言わないし。
要するに、30歳まで日本に住んでしまった人間は、世界に行って大きなことをやりたいと思ったら、日本に組織を作って、時間をかけて鍛えて、新しいものを生み出すしかないと。そこに彼なりの挫折感があったのか、納得感なのか、それは彼に聞いてみないと分からないけど。
●近藤社長のような人が、ブレイクスルーを生む
近藤がアメリカに行ったことに対して、「自分探しの旅」という批判も書かれているけど、そういう紋切り型の言葉で彼を評したくないんですよ。すごく不思議な人なんだよね。自分にないものをたくさん持っているから期待している。
ほかの人は分かるんだ、いろいろと。だから自分が手伝わなくていいなと思うんだけど、彼だけはいつも驚かされていますよ。でも相変わらずそこからまだブレイクスルーが生まれてないからデカいことは言えないんだけど、こういう人がブレイクスルーを生むんだろうなと唯一思うのは、彼は、納得するまで時間がかかるんだ。
彼に会うと僕はいつも「元気か?」と聞くんだけど、いつも元気なんだ。彼にも相談ごとはいろいろあるんだけどさ、元気かな、と思うと目をキラキラさせながら、僕が「全然うまくいかないだろうな」と思うよなアイデアを話してくれたりしますよ。
――ところで、近藤さんと羽生さんに共通点はありますか?
全然違うね。抜きんでている何かを持っているという点では共通しているけれど。全然格が違うね。羽生さんは日本で一番優れた、日本で一番貴重な人だと思うからね。
――近藤さんはまだそこまで行けていない、と。
当たり前でしょう(笑)。そんなことを言えば近藤が笑うよ。
●新刊は「僕個人の幸福に関わる」
――「シリコンバレーから将棋を観る」は将棋界から衝撃を持って迎えられていると聞きます(同書には、梅田さんがWebに執筆したリアルタイム観戦記を掲載。梅田さんの将棋に対する見方やWebの活用法が、将棋界に新たな風を吹き込んでいる)。同書が将棋界に与えるインパクトをどう考えていますか。
僕自身はまだ、よく分からない。この本には、羽生さんが感想戦(対局後に盤面を最初から最後まで再現し、善し悪しを協議すること)で、「将棋終了直後は何が何だかよく分からないんだ」と言っているんだけど、心境は近くて。
僕は将棋の世界のアウトサイダーだから、この本を見て、「何か新しい将棋の世界に新しい可能性を」と言ってくれる人がいるのは知っているんだけど、どういう意味があるのかとか、そういうことはよく分からない。
この本は、僕個人の幸福に非常に関わる本なんですよね。ファーストプライオリティとして将棋界を何とかしてやろうという思いは一切ないしさ、非常に個人的な幸福に関わる本で、だからそのインパクトがどう出るかはよく分からないんだけど。
1つ言えるのは、将棋界の人たちは本当に将棋だけをやっている人たちなんだよね。本当に将棋を愛して、将棋を指している人、その周りで仕事をしている人、そういう人たちがみんな「この本は良かった、ここで書かれているような方法で自分たちも何かやろうかな」と言ってくれている人が多い。
僕が今までやって来た経営コンサルティングの仕事以上に、将棋の世界に対して、何か相乗効果みたいなものをもたらす可能性もあるかもしれないな、と。
英訳や仏訳プロジェクト(梅田さんが、「シリコンバレーから将棋を観る」を翻訳してWeb上にアップすることを自由と宣言したところ、有志が短期間で英訳して公開。仏語版プロジェクトも進行している)も、僕が想像するところを超えた、将棋への愛情とか日本文化を世界にという情熱が集まってきた。たまたま僕が本を出し、翻訳OKと提案したら、そういうエネルギーが集まってきた。
「だからどうなんだ、じゃあグローバルにこれ(将棋)が普及するのか」というとぜんぜん分からないよね。たかだが1冊の本がつたない英語で翻訳されただけで。ただ、可能性みたいなのは提示した。それによって何がどう変わるかは分からないですよね。
●ずっと何かを待っていた それがたまたま将棋だった
僕はずっと何かを待ってたんだよね。僕は、非常に個人的な人間でしょ。昔から、自分の人生に、何か予期できないすばらしいことが起こったときに、すぐ飛び付ける体勢を作ってきた。そうしないと、「これは生涯の時だな」というのが目の前に通り過ぎるかもしれないじゃない。
利害相反みたいなのができる限りないようなポジションに自分を置きながら暮らしていないと、目の前に何かすばらしいものが出てきたときに飛び付けないというのがあるよね。
僕は、会社勤めをしていないし、自分の会社も大きくはしていないから、面白いことが起きたら全部飛び付ける。もし会社を大きくしたら、社員を養うことをファーストプライオリティにしながら生きて行かなくてはいけない。パリに将棋の観戦記を書きに行く機会が目の前に訪れても、それに飛び付くことができないじゃない(梅田さんは08年10月、フランス・パリで行われた第21期竜王戦のリアルタイム観戦記を執筆した)。
今回は、たまたま将棋だったけれど、それは野球だったかもしれない。例えばイチローに会えていたとして、彼に「自分の試合を全部見て下さいよ」と言われたら、僕は行ったかもしれないわけだよね。
僕にとっては、はてなの取締役になったこともそういうことの1つだよね。近藤に会った時、僕自身が日本の大企業の社員だったら、いきなり取締役になるなんてできないよね。
もし近藤が僕の予言を裏切って、アメリカで何かとてつもないことをし始めていたとすれば、僕は(経営する)ミューズ・アソシエイツという会社をたたんで、フルタイムでアメリカでコミットしていたかもしれない。そういうことがいつもできるようにしているんですよ。ミューズという会社の契約形態も、マックス1年間で会社を閉じられるようにしてあるんですよ。
●“飛び付く”ために、休暇を取った
そういうことが、人生の醍醐味だと思っているから。それなりにビジネスやってきて自分で稼いできたのは、そういうことをやるため。自分の目の前に、何か大切なものが通り過ぎていった時、必ず飛び付けるというのが僕の人生のファーストプライオリティ。
ウェブ進化論以降2年半というのは飛び付けなかった。フラストレーションがたまっていくんだよね。梅田望夫はこういう(最先端・最高峰を愛する)人間であるということがものすごくはっきりしてくる中で。
ビジネスの観点とかお金の観点で言えば、その役割(Webを語るという役割)モデルを果たし続ける方が合理的なのかもしれない。でも、僕自身のプライオリティは全然そんなところにないから、サバティカル(長期研究休暇)を取って、ようやく目の前にあるものに飛び付ける体制に持って行った。
そうしたら目の前に佐藤さん(佐藤康光棋聖)が現れ羽生さんが現れ、新潟に(観戦記を書きに)行き、パリに行き、ということがあって、この本が生まれた。
●将棋への愛、リアルタイム観戦記で証明
僕がなぜ将棋の世界でこんな本を書けて、「将棋の世界を変える」といったことを言ってもらえるかというと、「リアルタイムWeb観戦記」という場があったからなんだよね。
僕は将棋を愛し続けてきたんですよ、子どもの時から。将棋指すことは強くないけど見ることへの情熱には自信があったんだ。だけどそんなことを何の実績のない人間が言うことってできないじゃない。
佐藤さんから「Webで将棋観戦記を書いてみませんか?」と言われたから、ベストを尽くして書いてみようと思ったんです。リアルタイムというのは自分の実力をいきなり証明することができるじゃない。リアルタイムってすごく、いろんな人に可能性を広げてくれるんだよね。
現代将棋を誰も構造化していない。羽生善治というとてつもない人間を「こういう人」とすくい上げることを、誰もしていない。僕は縁があってそういう世界に飛び付かせてもらい、そこへ出かけてそれをやらせてもらったというのが、今回の本なんです。
●今後のWebとの関係は
――今後梅田さんは、Webコンサルタントとか、Webについて語る識者のようなポジションを取ることは、もうないのでしょうか。
僕自身、自分を評論家だとはあまり思ったことがないんですよね。ウェブ進化論を書いたからそう思われているかもしれないんですけど。
最先端の場所に出かけていって、そこで起こっていることを構造化して、仮説を提示するということを、本業(経営コンサルティング)でもやっていたし、ウェブ進化論でもやった、ということに過ぎないんだよね。ウェブ進化論を書く前に、はてなという会社に飛び込んだのも、「ここで起こっていることはひょっとしたら新しいのかもしれない」と思ったから、自分から飛び込んだ。
僕は学者ではないから、全体を俯瞰(ふかん)して、はてな以外の会社も全部調べた上でWeb評論するということは、やっていないんだよね。
評論家と言われるけれど、「評論はもともとしていなかったかな」という気持ちがある。(僕の本は)エッセイみたいなものじゃない、ある意味で言えば。「非常に個人的なものを書いている」という気持ちがあるんだよね。僕は文学を書いているという風に思っている人もまれにいるわけですよ。そういうフレーバーを感じる人もいる。
ウェブ進化論のような本については、書かない確率がかなり高いのではないかとは予感しているけど、よく分かりません。ただ、続編や本当の意味での完結編は、僕よりもうんと若い人が書くべきだ、とも公言してきたから。
Webというのは、僕自身がこれからも、最先端の「炭坑のカナリア」的な人体実験を繰り返す上で素晴らしい道具なので、相変わらずWebをモチーフにしたものを書くとは思うけれど、それが評論と言えるものになるかどうかは、よく分からないですね。